ゆずり葉ができるまで
ゆずり葉のできるまで
1979年5月、一人のお母さんの「ダウン症の子を持つ母の会をつくりたい」という声を受け、様々な分野の方々の協力によりゆずり葉が発足されました。

1979年5月9日
午後、突然町田さんより電話がありました。
ダウン症の子供をもつ母の会をつくりたいので、是非保健所の力をかりたい。母の会を行政面からバックアップしてほしい。以上のような内容の電話であった。5月12日来 所の約束をした。

1979年5月12日
10時より話し合いをした。
全国的には「こやぎの会」「小鳩の会」という、ダウン症の親の会があり、静岡県にはこども病院を中心として親の会がある。障害者には世間から見のがされている。障害者 全般に渡っての親の会はあるが、ダウン症のみの親の会は地域にはない。障害の程度をより軽減する為、早期からの刺激が必要であり訓練を地域でやりたい。その為に行政の 力をかりたい。主体はあくまでも母親であり保健婦は側面からの補助をする。福祉とのかかわりをしなければならない。ダウン症の正しい啓蒙(ダウン症は人間ではないと言 われた)が必要である。会を開くのには所長の許可が必要だ。名簿づくりも必要である。以上のような内容であった。
1979年5月14日
飯沼先生(こども病院医師)より電話がありました。
地域ごとの指導拠点をつくりたい。沼津市は東部の中心として大変よい。これは住民要求として町田さんが出てきている。保健所の受け皿(場所)がつくれるか。決して強制 ではない。3〜4年先を目指している。健康管理面は病院で行う。場所及び手伝いの人がほしい。以上のことであった。

1979年5月16日
室長より所長への会のことを説明、了解された。
5月25日 第1回を予定することになった。

1979年5月22日
飯沼先生が来所。次長に会のことについて説明。
保健所等の公的機関との情報のネットワークをつくりたい。
センター的存在としてこども病院又は県予防課におきたい。
病人のみの医療でなく、保健医療的に行なっていきたい。
障害児から始めるのが妥当と思われる。現在、病院で行っている極小未熟児のフォローアップもその一部である。
情報の提供のみでなく、情報のフィードバックも行う。
地域と結びついた医療を行なうことを考えており、当会も地域医療の一つである。
急には確固たる組織はつくれないが。5年先10年先を目指して活動したい。
母親の自主的活動で継続させていきたいので、協力は十分行なう。療育相談として午前中来所する予定である。
こども病院関係の人達だけでなく地域と結びつきたい。(閉鎖的なものでない)
相談日にはダウン症児のための体操及び医学関係のトピックなどを行なう予定である。
アメリカのデイケア的な1日、療育的な考えで、公的機関で学習したことを家庭でも継続させていきたい。
以上のことを熱心に話されました。


〜『ダウン症児の将来を考える会 東部支部』一年の歩(1980.6)より抜粋〜


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